「男を磨いた」その気分
こんにちは。
何かと気ぜわしいこの頃ですが、お元気でご活躍のことと思います。
いきなりですが、日本には、「決闘罪」というものがあるそうです。
最近では、あまり聞かれなくなりましたが、これは、しっかりとした犯罪です。
その当事者も、立会人も罪になるというものです。
明治時代に定められた法律らしいです。
最近の検挙例は、ほとんど見かけなくなりました。
小生たち団塊の世代の中学時代は、無知のままにこの法律破りをしていました。
まさに「決闘」をやっていたのです。
意見が違って感情的になってやる「喧嘩」とは少し違うのです。
今でいう総合格闘技の少年版のようなものです。
憎しみや恨みとは、関係なく。
思春期の複雑な自己顕示欲と関係がありそうです。
時代の背景もありそうですが、難しいことはよくわかりません。
公立の中学校では、全国的にやっていたと思います。
この頃の最大の関心事は、学業成績と女生徒に人気がある事。
でも、硬派を目指す少年達は、他にもっと大事なことが、ありました。
それは「決闘」による順位です。
場所は、校舎の裏とか神社の境内。
これには、必ず見張り役を兼ねた立会人がいました。
先生や大人たちが、近くに現れたら素早く中断する役目を担う。
そして、出血があった場合などは、速やかに止める任務もある。
勝敗結果や戦いぶりを校内にアナウンスするのもこの連中でした。
ランキングの上下も、彼らの裁定によるものです。
立会人の偏見で、実力以下に評価される不公平もたまにありました。
上位の常連は柔道部員が多かった気がします。
上位にランクされると、
校内では、まさに畏敬の目で見られるようになります。
すれ違った時など、知らない下級生から帽子を脱いで「ぺこり」を挨拶をされる。
と、中学生にとって、この優越感は、何とも言えないものでした。
それによって仕草や歩き方まで、変えた時代でした。
上位を目指す連中は、
実力の他に戦略が必要でした。
精一杯の屈強そうなオーラを漂わせ、
レフリー役の人達へは、愛嬌を忘れない。
そして、弱者には優しいという懐の深さ。
番長格になると周りの学校にも名が知られます。
やがて近隣の中学校の番長からの果たし状が回ってきます。
数人の子分たちがついてきます。
飛びっ切り強そうな奴等です。
こちらの番長格は、しっかりと対応しなければならない。
覚えている限り、逃げたりした人は、一人もいなかったと思う。
わが校の歴代の番長は、さすがに凄かった印象が残っている。
頑張って見事に打ち負かしたら、
取り巻き連中も一緒になって鼻高々。
しかし、ボコボコにされたり、
泣き出すようなことになったら、
それはそれは、
取り巻き連中ひとまとめで、みじめなものです。
我々の半端な悪ガキの本心ば、
「立ち位置は、なるべく番長の側にいたい。
が、番長にだけは、なりたくない」でしたね。
団塊の世代の少年たちは、そんな時を真剣に過ごして「男を磨いた気分」に浸っていました。
その後、日本にもやがて経済成長の大波がやってきたことがありました。
そして、オイルショックの苦い時期を経たあと、華やかなバブル時代が到来。
「男を磨いたこの連中」は、この大波に乗って、大活躍することになったのでした。
額装の㈱アート・コアマエダ(店主)